「プログラミングが好きなら、趣味にしておきなさい。仕事にするのは、もうやめたほうがいい」。あるITエンジニアがそう若者に語るnoteの投稿が話題を呼んでいました。生成AIの登場で「コードを書く職人」としてのプログラマーの価値が揺らぎ、代わりに「何を作るべきか」を言語化する力が求められる時代になったという内容でした。この指摘は、IT業界だけでなく、ジャーナリズムの世界にも重要な示唆を与えています。
かつて新聞記者がデジタルで何かを表現しようとすれば、必ずエンジニアの力を借りる必要がありました。2000年代後半からデータジャーナリズムが注目を集め始めた頃、米ニューヨーク・タイムズ紙などの先進的な報道機関は専門のビジュアライゼーションチームを組織したといいます。記者が取材し、データを集め、エンジニアがインタラクティブな可視化を作る。そんな分業体制が、高度なデジタルジャーナリズムの前提条件とされていました。日本でも2010年代に入ると、いくつかの報道機関がデータ報道に取り組み始めましたが、技術的なハードルの高さから限られた組織でしか実現できませんでした。新時代のデジタル報道を目指して設けられた編集局内のデジタル部署も、いきおい、日々のニュースサイトの更新に追われ、新しい挑戦に取り組みにくくなります。しかしそれは、おそらくどの新聞社でも少なからず見られた現実であったと思います。
ところが、この構図を根底から変えつつあるのが生成AIとノーコード・ローコードツールの急速な普及です。ChatGPTやClaude、Geminiといった生成AIは、プログラミング経験のない人でも簡単なコードを書けるよう支援してくれます。TableauやFlourishといったツールは、複雑なビジュアライゼーションやWebアプリケーションを、ほとんどコードを書かずに作成可能にしました。もちろん、エンジニアが長年培ってきた設計思想やベストプラクティスがこれらのツールに組み込まれているからこそ、非エンジニアでも一定のクオリティを保てるのです。その専門性への敬意は忘れるべきではありません。
この変化は、記者とエンジニアの協働のあり方を変えつつあります。簡単なグラフやビジュアライゼーションであれば、記者が自分で作れるようになりました。取材現場で得た感覚を、その場でプロトタイプに落とし込める。そのスピード感は、かつてなかったものです。一方で、大規模なデータベース構築や複雑なインタラクティブ機能、パフォーマンスの最適化といった高度な開発には、依然としてエンジニアの専門性が欠かせません。むしろ、基本的なツール作成から解放されたエンジニアは、より創造的で挑戦的なプロジェクトに時間を使えるようになったとも言えるでしょう。記者が「何を伝えたいか」を明確に示し、エンジニアが「どう実現するか」の最適解を提示する。この協働は、以前よりも深く、高度になっています。
この可能性は取材結果の可視化だけにとどまらないでしょう。膨大の行政文書や企業データ、政治資金収支報告書から不自然な記述を発見したり、SNSの投稿からトラブルや犯罪、虐待の兆候を発見したりという調査報道の基礎作業こそ、生成AIなどのIT技術が最も力を発揮する時代です。Pythonで簡単なスクリプトを書けば、人間が何日もかけて行う作業を数分で終わらせられます。生成AIに適切な指示を出せれば、プログラミング経験がなくても基本的な分析は可能になりました。もちろん、本格的な分析基盤の構築や大規模データの処理、セキュリティの確保には、エンジニアの専門知識が不可欠です。記者が簡単なスクリプトを書けるようになったことで、エンジニアとのコミュニケーションはより具体的で実りあるものになるでしょう。
「技術力には自信がないけれど、伝えたい真実がある」「コードは書けないけれど、解決したい社会問題がある」。そう感じている記者にとって、技術的なハードルは確実に下がっています。簡単なツールなら自分で作れる。複雑なプロジェクトならエンジニアと対等に議論できる。そんな時代が到来したのです。もちろん、本格的な開発が必要なら、記者とエンジニアの協働が鍵になります。ただ、最も大切なのは技術そのものではなく、「何を伝えるべきか」を見極める記者の目と、真実を追求する情熱です。かつて記者がペンとノートだけで世界を変えたように、今度は技術者と手を携えながら、新しいジャーナリズムのフロンティアが切り開かれようとしています。
参考:1月16日付note「プログラミングが好きな人は、もうIT業界に来るな。」(いぐぞー@書籍執筆中 ✈️ 旅するプログラマーさん) https://note.com/igz0/n/n80b262ea33ba